学校における一斉色覚検査の再開に反対する声明 

 

 

学校現場で色覚検査が全面復活へ

 児童・生徒の色覚検査については、2003年4月の改正省令施行により、健康診断項目から削除されたことは周知のところです。長年にわたり児童・生徒の全員が義務的・強制的に、校舎内で集団的・一斉に検査を受けさせられてきた歴史が、これにより制度上は終わりを告げ、当事者の団体として大きな前進を刻するものと受け止めてきました。
 ただ制度改正の直後から、眼科医の業界団体は改正への批判・復古を高唱し、一部地域では教育行政への働きかけを通じて、従前の色覚検査を存続、復活させてきました。
 さらに、近年の眼科医会による執拗・計画的なキャンペーンや文科省への工作のなかで、14年4月末には新たな局長通知が出され、02年の前回通知よりさらに踏み込んで検査の奨励・促進が打ち出されました。続く6月の所管課からの「事務連絡」も手伝って、全国の大半の学校で来年度からの全面再開に向けて、こぞって準備が進められていると伝え聞くところです。


Ⅱ 私たち色覚当事者は、こころを痛めています

 色覚の差異の多くは、日常生活でとくに支障がないにもかかわらず、「色盲」という従来の呼称も相まって、社会や学校・職場で「色が見えないのでは?」といった憶測や偏見に長らくさらされてきました。また、世間の遺伝への優生意識から、婚姻などにおいて心ない差別が今も残っています。このような偏見や差別を助長してきたのが、まさに校内や就職時の色覚検査に他なりません。
 児童・生徒への色覚検査については、戦前より約13年前まで制度的に実施されてきたところですが、簡易ながら検出力が過剰なまでに高い「石原表」によ り、日常生活でとくに支障がない大半の者まで「異常」の烙印を押され、プライバシーの確保も不十分な中で、周囲の好奇の目と軽侮の声を浴びてきたのでした。 当時はもとより事前の同意など求めず、また事後的なフォローもなおざり、進路指導はと言えば進路の保障ではなく、烙印に基づく「進路の選別」にならざるをえないものでした。
 喧伝されているほど「色覚による就業規制に直面」している実態は現在はなく、他方で検査で結果を早期に知らされたところで、ショックと諦めの時期が早まるだけで、規制の壁そのものが消えるわけでもありません。社会的なバリアの撤廃、ユニバーサル・デザインをこそよりいっそう進めるべきなのです。
 色覚の差異は治療など元来できない以上、色覚検査とは医の世界ではなく、 ふるい分けの道具に他なりません。意味のある検査があるとすれば、個別具体の職務の遂行上で必要最小限度に求められるべき色彩識別力の有無についてのものです(01年厚労省局長通知)。学校での眼科的色覚検査の復活を安易に求める今回の文科省局長通知等は、恥ずべき過去に目を閉ざすものでしょう。


Ⅲ 児童生徒や保護者の「知らないでいる権利」

 一般の色覚検査が対象としているのは先天性の赤緑色覚異常で、その原因となる遺伝子はX染色体にあります。色覚検査は実質的に遺伝情報を収集・診断しているのです。個人の遺伝情報の取り扱いについては長い間議論がありました。その中で生まれたのが「知らないでいる権利」です。
 本会は、自分に色覚の差異があるのかどうかを、したがって遺伝子が一般の人たちと異なるのかどうかを知る権利について、むろん否定するわけではありません。しかしそれとともに、知ることで不幸になる可能性があるなら、人はその情報を知らないでいる権利をもっています。知りたくない情報を強制的に知らされることはおかしいのです。
 また、色覚の差異がある子のX染色体は母親に由来します。そのことは母親、それに家族にとって、知りたくない情報かもしれません。保護者にも「知らないでいる権利」があるのです。 


Ⅳ <同意の誘導>による実質的一斉検査の策略

 今回の局長通知では、教職員の責務とともに「保健調査に色覚に関する項目を新たに追加するなど、より積極的に保護者等への周知を図る必要」を新たに付け加えています。さらに事務連絡では、保護者から提出を受ける「検査申込書」の標準書式(学校保健会HP内)まで示しています。それらをうけて、全国の学校現場では、提示された書式に基づき担任を通じて、すべての保護者へ校長宛の「検査申込書」が配布・回収されると想定されます。そうなれば無形の同調圧力もはたらく中で、大半が申し込むのは明白です。
 それはとりも直さず、局長通知に言う「希望者に対して個別に実施するもの」という建前にすら反する<同意の誘導>と断じざるをえません。それは実質的に、かつての義務的・強制的、集団的・一斉の色覚検査の復活に他なりません。私たち色覚の当事者は断固として、これらの策動に対して反対の見解を表明する所以です。

   2016年3月 
   日本色覚差別撤廃の会