「色のふしぎ」と不思議な社会
2020年代の「色覚」原論
川端裕人 著 筑摩書房 発行
20世紀の日本は、石原式色覚検査表(石原表)によって色覚当事者とされた人々が職業選択の自由を制限される悲惨で痛ましい時代であった。大学入試においても工学部、農学部、医学部、歯学部、薬学部、農学部、教育学部など多くの学部で入学制限があり、受験さえできず門前払いされることが多かったのだ。就職に際しても、理科系のみならず銀行員、教員など多くの文科系の職業さえ諦めさせられた人たちがいた。しかし少数だが人権を尊重する良心的眼科医や当事者たちの献身的な運動の結果、今日では入試時の制限はほぼ取り払われている。また、就業時の色覚検査の義務づけ廃止を求めた2001年の労働安全規則の改正の結果、21世紀は色覚当事者が社会の各分野で存分に活躍できる世の中となっている。
だが色覚当事者にとって暗く陰鬱だった20世紀に振り子を戻そうとする人々がいるのだ。学校保健法施行規則が改正され、義務教育での検診必須項目から色覚検査の削除されたのは2002年だが、『色覚異常は軽いほど危険』とする日本眼科医会はそれから約10年後に「実態調査」と称するエビデンスレベルの低い独自のアンケートを実施し、これを根拠として学校での色覚検査の全面的復活をはかり続けた。その執拗な圧力に屈した文科省は2014年に局長名で、あろうことか学校での色覚検査奨励の通達を出してしまった。それに勢いを得た日本眼科医会は、現在では色覚についてなんの制限もなく色覚当事者が活躍している各種職業について「色覚当事者には困難であり不適格である」と印刷したポスターを作成し全国に配布している。幼少時から色覚当事者に「負のラベリング」を貼り、当事者がこれらの分野を志望することを早くから諦めさせようとしているのである。
著者である川端裕人氏が本書を執筆した動機は、日本眼科医会が義務教育において石原表によるマス・スクリーニングを推進しようとしていることに疑問を持ったことから始まっている。川端氏は本書の執筆のため、義務教育の現場で石原表検査復活を試みている日本眼科医会の眼科医たちへの取材に加え、1990年以降の各分野で進展した色覚科学・工学の新知見を求めて世界各地の色覚研究の専門家や遺伝学の碩学たちを尋ね丁寧かつ詳細に取材し、執筆に5年を要している。本書がこれらの調査、取材の結果を噛み砕いて読者にわかり易く説明できているのは、川端氏の卓越した科学ジャーナリスト力があってこそだと感嘆させられる。
最近の分子生物学的、遺伝学的研究、および英国、米国での臨床研究からヒトの色覚は正常、異常の二つのグループに分類できるものではなく、色覚は連続しており、多様で広い分布がある。すなわち色覚当事者は男性の5%ではなく、人口の約40%の人々が軽微だが色覚当事者なのだと。さらにSuper normal、つまり、これまで考えられていたよりもはるかに細かな色の識別能力を持つ人達さえ存在することが確認されているのは驚きである。
石原表は感度、特異度に問題があり、偽陽性率が高くマス・スクリーニングに向いておらず、一方、色覚検査のゴールドスタンダードであるアノマロスコープは神奈川県内のどの大学病院も有しておらず、全国的にもごくわずかの施設にしか配置されていない事実にも驚かされる。これでは石原表で偽陽性とされても、精密検査は受けられず、誤診の多い石原表の結果が最終診断として大手を振っている杜撰な実態には驚くばかりである。
日本眼科医会は「軽いほど危険」というロジックを用いて当事者の職業選択を制限すべきだと公言しているが、その反証として我が国の運転免許試験において石原表が廃止された後でも交通事故は全く増加せず、むしろ減少している事実は極めて説得力がある。これらの事実を眼科医会は直視すべきであり、日本眼科医会の医師たちは権威者、専門家としての長年の勘と直感による独善的な主観のみで石原表によるマス・スクリーニングが重要と唱え推進することは合理的根拠に欠けると著者は警鐘を鳴らしている。
結論として川端氏は石原表検査による幼少時でのマス・スクリーニングの無意味さを明確に指摘しており極めて説得力がある。取材の対象であったためか、日本眼科医会の眼科医たちに対する川端氏の記述には若干の遠慮が見られる。しかし川端氏は義務教育において石原表検査復活を目指す眼科医たちが最新の色覚科学の成果をエビデンスとして取り入れておらず、現代ではエビデンスレベルが非常に低いと認識されている診療時のエピソードの羅列を主張の根拠としているのは時代遅れであること、21世紀のエビデンスレベルに基づく議論をすべきであることを指摘し警鐘を鳴らしている。長年、循環器医として大学病院においてエビデンスに基づいて診療、研究をすることを叩き込まれてきた評者からみても、この見解は的確であり大いに同意できる。
前世紀の義務教育現場では、保健体育教科書において、色覚について悪名高い「旧優生保護法」や優生思想の見地から記述するという誤りと人権侵害が罷り通っていた。そんな時代に行った石原表マス・スクリーニングを、反省もなく復活しようと試みる日本眼科医会の方向性は、前世紀の誤りを繰りかえすものであり、スジが悪く、アンフェアな職業制限が現在も残っているなら、むしろ眼科医側から働きかけてほしいとの川端氏の心からの訴えに評者も強く共感するものである。
書評;内野和顕