なんなんでしょうね、あの制限は・・・

なんなんでしょうね、あの制限は・・・

                               井上清三

 

 先日、私が参加したオンラインお話会に布の販売を専門職としている方が参加され、話をすることができました。微妙な色の組み合わせ等で組み合わせがなかなかできない人がいたそうで、その人は色覚の当事者だったそうです。芸術的な色の配置等では個性的色使いでいいんだけど、やはりお客様相手の販売となると難しいのではないか・・・とおしゃっていました。この話を聞いて、色を扱う仕事は色覚当事者には無理ではないか・・・「制限が必要」と私には聞こえてしまい、ちょっと心がざわッとしました(すみません。その専門職の人はそうは思っていないと思いますが・・・)。当事者には無理かも→「制限が必要」→「色覚検査」→色覚差別・偏見と一瞬の内に私はいつも行きついてしまいます。だけど、当事者ではない人がこういうふうに「当事者には無理かも」と思うのは当然なのかもしれません。私は当事者で数多く不当な色覚制限を見ているので、一瞬にして「色覚差別・偏見」に思いは行ってしまうのですが、途中の「制限が必要」という所に今回は視点が向きました。「当事者は無理かも」の次に「制限が必要」と行くのではなく、「当事者が望むならなにか方法が・・・」と続けること。本会(てっぱいの会)は色覚当事者の会で、昔不当な制限のあった警察官、医者、教員、デザイナー、色コードを扱う配管工等になって職を全うした人がけっこういます。もしかしたら、困ることがあったのかもしれませんが、重大な事故に繋がったとか不具合を生じたという話はまったく聞きません。その人なりに不具合がでないよう工夫しているようです。その職の中で才能を存分に発揮した人も多いです。日本色彩学会の会長をしていた国立大の名誉教授は、てっぱいの会の役員をしています。相当強度の色覚の差異をお持ちの方です。そんなことを思って、簡単に言っちゃえば、「制限するなんてもったいない!」。

 科学ジャーリストの川端裕人さんが「『色のふしぎ』と不思議な社会」という本を去年出しました。その中に、内外の学者の色覚に関する研究報告を紹介していました。簡単に紹介すれば、色覚に関しては「異常」「正常」とはっきり分かれるものではないこと、ほとんどの人に色覚の差異が認められること。「異常・正常」ではなく「多様性」と言った方がいいんじゃないかと書かれてありました。ホント、エビデンスの十分ある「眼科的」な「制限」なんてできないんじゃないでしょうか。工夫すればなんとでもなると思うのです。

 自分で「無理だ」と思うのはこれはしょうがないですが、第三者が「おまえは無理だ」というのはどうなんでしょうか。それも、エビデンスの足りない「眼科的」な検査を用いて・・・。

 私は、昔、結婚するために急いで就職しなければならなくなり、とりあえず小学校の先生になろうとしました。その頃、小学校の先生には色覚制限がありました。何言ってんだと、あの石原式色覚検査表をすべて暗記して採用試験に臨みました。35年間勤めましたが、まったく不具合がありませんでした。工夫のしようもなかった。

なんなんでしょうね、あの「眼科的」な検査を元にした「制限」というのは・・・。