論拠不明の本会批判について ~ 馬場靖人氏の「予断」をただす

 色覚をめぐる研究・学説の歴史を辿った馬場靖人『<色盲>と近代 19世紀における色彩秩序の再編成』(青土社)が昨年初めに刊行されました。検討の対象はドルトン、ゲーテからシュティリング、石原忍まで、19世紀ヨーロッパを中心に20世紀初めの日本が加えられています。氏が院生時代に手がけた諸論文を収録した書籍で、かなりの労作と言えますし読みごたえもあります。

 ただ、ここではそれらの内容の紹介や評定には踏み込みません。それらは一義的には同業の士どうし等で、しかるべき場や媒体でなされる(べき)ものと理解しています。

 

 しかし、ならばなぜ本稿の筆をとっているのかと尋ねられるでしょう。

 本書にも型どおりに「はじめに」と「あとがき」が付け加えられています。実は昨夏、本書が手元に届き急ぎ読み進めたなかで、諸論稿の前後で繰り出されているそれらの論旨にかなり違和感を覚えたのです。それぞれ一部抜粋ですが次のとおりですので、まずはぜひ一読いただければと思います。

 

 

 すぐにおわかりのとおり、2つとも同工異曲、ほぼ同じ論旨の繰り返しです。そこでは若き一研究者として「撤廃の会」の活動を率直に評価し、啓発された旨を感謝してくれています。他方で同時に、本会の活動が原因で重大な問題が生じているとの評定、見立てとなっています。加えて、それらの結果責任があたかも本会の活動にあるかのように。違和感を端的に記せば、的の外れたお門違いではないか、ということに尽きます。次の2つの軸で辿ってみましょう。

 第1に、この国で近年「終わりのない言語ゲーム」や「言説の閉域」(これらはお好みの業界用語のようで反復・頻出)が生まれたとの観察ですが、いったいに世にこれらが現存するとの論拠が不明です。市井の当事者から見るかぎり、ほとんど共感・共有しがたい話です。氏の同業界隈でそのような事態が起きているのか否かはあずかり知らないところですが、仮にそうだとしてもそれを世間一般に不当に拡大した表現とのそしりを免れないでしょう。

 その上で第2に、万一そのような事態が一部とはいえ浮世や関係方面に生まれていたとしても、それが本会の「せいで」と主張できる論拠が不明です。事は一つのれっきとした当事者団体に対する名指しの評定です。しかも本体は諸論文だとしても、商業的に出版された一般書籍であり、市中の書店に並んだもの。この点の十分な裏付けは著者としての基本的な社会的責務でしょう。

 

 実は昨夏(手許に届いたのは半月前とはいえ、本会に謹呈されたのが年初だったので、とにかく謝辞を急ぎ読了まじかに)次のようなメールを氏に送り(抜粋)、丁重に礼を述べつつ疑問点を提起しました。より詳しくコメントしており、少し長くなりますがお読みいただければと思います。

 

Date: 2020/8/31, Mon 21:00
Subject: 
御礼とコメント

馬場 靖人 様

(略)

 ここでは、本会について直接ふれてもいただいている「はじめに」と「あとがき」の当該箇所に限って、いくつか感想ないしコメントをお伝えしたいと思います。
 まず、「あとがき」で本会への「恩義」とまで称揚いただいた点は(309P)、過分な評価と面映ゆく思いつつも、会を代表して篤く御礼申し上げます。
 他方、その直後のくだりや「はじめに」のくだり(22P~)については、あくまで一会員としての見解(会として議論したものではない)ですが、いくつか腑に落ちないところがありました。

 ひとつは「会のせいで」以下において、「差別問題」としてのフレーミング化、「石原表」「石原忍」との等号化、「検査」・「差別」・「進路」などの常套語化、閉塞状況の産生、語りの定型文化といった事態が生まれた旨が示されていますが、まずは本会はそこまでの影響力はとうてい持ち合わせていないのでは?という素朴な印象はともかく、程度の差は多少あるとしても本会結成(1994年)以前よりそれらは現出していたのではないか、という基本的疑問でした。実際ひとまず思いつく範囲でも、高校・大学進学上の制度的障壁は概ね90年前後でほぼ撤廃されていましたし、石原忍考案の「学校用色盲検査表」に長年併載されていた偏見と差別意識の露わな「附録 通俗色盲解説」がほぼ同時期に姿を消しました。
 むろん本会発足後の活動が中心となって(「大いに貢献した」309P2001年の労働安全規則改正や翌年の学校保健法施行規則改正が実現したのは、掛値なく画期的な成果だったと受け止めていますが、その後に社会的な変容があったとしても、それは本会のプレゼンスというよりも、主として上記制度改正と当局(ほとんど厚労省のみ)の啓発活動「のせい」ではと捉えています。ちなみに、日眼医の政治力に屈したとはいえ、周知のとおり文科省の啓発・一連の通達はむしろ改正内容にたがうベクトルをもつものだっただけに、わずか11年の「戦間期」で終わりを告げました。
 何よりも私見では、社会意識あるいは社会関係の趨勢の上で、おっしゃるような目立った変容はその後さほど生まれていないのでは?という所感を抱いています。一部の現場(雇入れ事業所、一時の学校)では実務上の対処は取られたとしても、過半の事業部門、市井の人々には是非はともかく、無縁・無関心の世界だったのではないでしょうか? いわば「土俵」にわずかに載っていたものがいるとすれば、おそらく関係ギョーカイ(日眼医、日眼会など)と3つの当事者団体ぐらいではと推察する次第です。
 以上、時系列・時期、原因主体、事態の水準の3つの視点から所感をお伝えしました。

 もうひとつは、ひとつ目と表裏一体かと思いますが、「はじめに」でふれられている「終わりのない言語ゲームの始動」、「言説の閉域」の成立などが、本会の「告発」と期を一にして生じたと示されているなかで、色覚検査制度をめぐる「反対派」は「軍国主義の遺制」・時代遅れと言明する(のみ)と捉えられています(2223P)。しかし、おそらく「反対派」の代表と世に見做されている本会は、それらについて触れることはあっても、少なくともそれを主軸に論を組み立ててはいません。この点はその後に語られている「石原表の検査器具としての基本的な評価」とあわせてお伝えしたいと思います。
 本会のリーフレット(ホームページにも掲載)はつとにご高覧かと思いますが、「色覚検査の弊害~社会的バリアの温床」や「色覚差別のあゆみ」のページで、長短それぞれ石原表を取り上げています。そこでは、技術論においても「過剰に」検出力が高い(ため「誤診」が生じやすい)こと、眼科的色覚検査に共通する性向として、医療的に治療はできない・治せない中で、器具自体の作成・使用「目的」自体が元来「異常者」の選別・排除に他ならないこと(それは技術の悪用・副作用とかではなく、社会防衛の利器としての当該技術の属性そのものの「病理」と把握し、同じく選別技術としての出生前検査との類似性を提示しています)などに警鐘を鳴らしています。少なくとも石原表の「政治的中立性の装い」(23P)をけっして不問に付したりはせず、むしろそれらを高唱してきたところでした。なお私見では、石原表の「政治的中立性の装い」を最も政治的に偽装・宣教してきたのは、おそらく他ならぬ日眼医だったと了解しています。その根底に潜むおよそ時代錯誤、世界人権宣言以前・戦前並みの偏見と差別・優生意識は、ハンセン病や優生手術と同様に、遠からず断罪される日が訪れるでしょう。

 最後にひとつ加えますと、用語の問題です。【凡例】の最初に示されていますので、本書に限れば何らか指摘すべきものではありませんが、色盲という用語についてです。(略)

 なお馬場さんにおかれては、「差異」や「制度(的)」といった本会のかねてよりのキーワードを随所で共有いただいているようで、うれしく思っています。

 以上、初めてのお便りにもかかわらず、長々と所感を綴りましたが、よろしければ忌憚のないご感想・コメントを返信いただければ幸いです。
                                          

 

 しかし、届いたメールでは提起した3点のうち、3つ目の「色盲の用語法」をめぐり自身の他の論考名を提示して返答に替えた!ほかはゼロ回答でした。

 その後の経過を簡単に紹介すれば、半年以上が過ぎた今年3月に、中心的な残る初めの2点に絞って返答を促したところ、答えるいわれがないかのような高慢ともいえる物言いを連ね、多忙につき来年度「以降」(つまり無期限)に返答する!と。若気の至りと弁解できる年頃では既にないでしょう(なお、氏の返信メール文は個人情報と(不)名誉の観点からさしあたり割愛します)。引き続き早期の返答を求めておきましたが、よほどに繁盛して仕事に追われているんでしょう!?初めに尋ねた昨年8月から1年が経とうとしている今日に至るも、回答はありません。

 「働き方」あるいは「意思の疎通法」を「適切」に「改革」するなり、引き続き早急に「実のある」回答を期待する次第です。論旨が予断であってみれば、実は論拠、裏付けを備えた応答は不可能なのかもしれませんが。

 

 

                                               荒  伸 直