日本学校保健学会に参加して

日本学校保健学会に参加して

小田愛治

 

日本学校保健学会の学術大会が昨年11月愛知学院大学で開催された。新型コロナの影響でオンラインによる大会となったが、シンポジウムの一つに色覚問題をテーマとするものが持たれた。そのシンポジウムは高柳泰世医師がコーディネーターになっておられ、シンポジストの一人として当事者の立場から意見発表をしてほしいとの誘いがあった。私は学会と名のつくものに全く縁がなかったが、作家の川端裕人さんの研究発表をメインとしたシンポジウムであり、当事者の声としていくらかの手伝いが出来るのであればと承諾させてもらった。大会の参加者は学校保健について研究している大学の関係者、小中高の学校現場の養護教員が中心であるが、その方たちに当事者ならではの声を届けたいと思った。

以下は私の意見発表の要旨である。

 

石原表は他の人は難なく答えるが色覚当事者は読めないという小さな子にもその違いを肌感覚で自覚する検査であり、読めない当人にとっては大変ショックである。私の場合は検査以外では、日常で自分の色覚を意識することはなく、家族を含め他からそのことを指摘されることも全くなかったが、毎年繰り返される健康診断の検査を通して自分の色覚を劣るもの、隠すべき負の資質との意識が強くなっていった。

偏見によって色覚当事者の資質を劣るものと扱われていた日本社会においては、当事者は自分の色覚を負の資質として内面化してしまいやすい。私もその典型で自分の色覚は劣るものとして刷り込まれ、何ら疑問を持たないでいる子であった。進路選択においても自分の希望が「色覚異常」は受験不可と知り色覚を問わない道を選ばされた時も、その理不尽さに疑問を持つことなく、差別されていること自体に気づかないでいた。高3において将来の希望である電気関係のエンジニアにつながる工学部電気科は拒否されることを初めて知ったときも、現実の自分の色彩感覚より社会の論理を優先させ、自分の色覚が劣るのであるから仕方がないと色覚が問われない道に進むことにした。

1980年代からこれらのことが偏見による人権侵害であり、その不合理性が明らかにされていった。一つの事例を挙げると12色カラーコードマッチングテストのテスト結果がある(右表)。これは高柳医師が名古屋市内の中学1年生の色覚当事者をテストした結果である(これは論文でも発表されている)。色覚当事者が電気関係に向かない理由として「コードの接続間違いによって大変な事故にもつながりかねない」ということがまことしやかに言われていたが、このテスト結果はそのことが大きな間違いであることを明らかにしている。           

                              

                                  

色覚制限が根拠なき偏見によるものであることが明らかにされ、入学制限・職業制限の撤廃に向けての取り組みがなされていった。そのことが結実したのが2001年の労働安全衛生規則の改正、及び2002年の学校保健法施行規則の改正である。二つの改正ではそれまでの当事者の色判別力に対する認識は誤りであったと明言され、職業制限について「色覚検査は現場の職務遂行能力を反映するものではないことに十分な注意が必要で、検査を行う場合でも、各事業場で用いられている色判別が可能か否かを確認することで充分である」と改正留意事項で指摘している。私のケースで言えば電気関係の仕事で配線ミスの心配があるのであれば、カラーコードマッチングテストをすればよい訳である。これらの法改正が誠実に実行されていけば、日本も他の諸外国がそうであるように色覚多様性を認め、カラーバリアフリーに力点をおいた社会に移っていくのではと多くの当事者に期待を抱かせるものであった。

しかし、現在の学校現場はこの流れに逆行するものとなっている。今の学校における色覚検査復活の性格は、日本学校保健会作成の保護者向け希望申込書のひな型にその例示を見ることができる。同書には「職業・進路選択に当たり、自分自身の色の見え方を知っておくためにもこの検査は大切です」との記述がある。これは、頑なに色覚制限を改めようとしない職場の存在を容認し、それに適応することをすすめることである。

今学校で必要なことは、労働安全衛生規則でいう「眼科的色覚検査をなくし、検査が必要と判断するのであれば、その現場における職務遂行能力を確認するものにしていくこと」を要求していくことである。そして学校生活を通して子どもたちが色覚多様性について理解を深め、様々な資質を持つ人々からなるヒト社会の一員としてお互いを認め合う関係を築くことである。

 

 川端さんの研究発表の中で触れられた一人のお母さんから聞いたエピソードが印象に残っている。最後にそれを紹介する。

 そのお母さんは家族歴から自分の息子が「色覚異常」であることは明確だったこともあり、わざわざ検査は受けさせず進路は彼に任せ、結局希望した医学部に進んだ。入学後に眼科を目指している友達の実験台となって初めて自分のことを知った。それでも何も問題なくて本人はケロッとしていて「最初からわかっていたら医学部をめざさなかったかもしれないね。セーフ、セーフ」と言っていたそうである。

 

 苦労しないように「善意」「思いやり」によって指導すること自体が、不合理な制度を固定することにつながる矛盾を話される場面での一つのエピソードであったが、私にはその時の親子の姿が浮かんでくるようであった。