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2015年6月18日

「週刊文春」編集部御中

あまりの安直な記事に抗議します

日本色覚差別撤廃の会 会長 井上清三

 

 貴誌6月18日号141ページ「学校での色覚検査の意義」を読みました。あまりの事実誤認の数々と取材の浅さ、論のたてかたの幼稚さに唖然としてどういう抗議をしたらいいのか迷うほどでした。ただ、このままにしていたら社会一般に間違った考えが広まるのではないかと憤りを感じ、筆をとって抗議することにしました。以下問題点を書きます。

①「色覚異常の人の色の見え方は・・・」

 当事者の色の見え方は一人ひとり違います。ほとんど色の見え方に支障がない人からいろいろです。そもそも他者がどういう色の見え方をしているのか、原理的に互いに知ることはできません。こういう「色覚異常当事者はこう見える」という根拠を欠く断定口調がこれまでの色覚差別を生んだ温床の一つです。こういう表現の場合、偏見を避けるため「人によって見え方は違います」の注釈がはいるはずです。

②図のイラストについて

 「赤い花きれい!」「!?」の会話のイラストですが、これじゃあ、色覚当事者はおよそ色が見えない、色についての感動がない・・・ととらえられてしまうのではないでしょうか。個人差はあれ、当事者は一人ひとり色使いに対しての感動経験を持っています。色を扱う画家やイラストレーターにも当事者はたくさんいます。こういう偏見が今までの差別に繋がってしまったのです。

 

③「当事者の自覚と正しい知識があれば、不自由は抑えうるので、諸外国では日本のように問題視はしないという」

 諸外国のことは取材されたのでしょうか?諸外国の当事者はホントに「自覚と正しい知識」をもっているのでしょうか。単に意味のない色覚検査が日本のようにないから問題視されてないんじゃないでしょうか。日本では、検査→振り分け→差別という具合になってしまっています。当事者ではなく、制度的・物理的バリアが不自由を産みだしてきたのです。

④「検査撤廃に尽力した人たちの思いはもっともですが・・・」

 「検査撤廃の背景には、治せない問題を突きつけるのは残酷・・・」

 筆者は学校色覚検査が廃止になった歴史を十分に取材しているとは到底思えません。平成14年3月に出された「学校保健法施行規則の一部改正等について」にはこう書かれてあります。(一部抜粋)

(一)色覚異常についての知見の蓄積により、色覚検査において異常と判別される者であっても、大半は支障なく学校生活を送ることが可能であることが明らかになってきていること、これまで、色覚異常を有する児童生徒への配慮を指導してきていることを考慮し、色覚の検査を必須の項目から削除したこと。

 

 文科省は、学校教育に当たって先生達が色に配慮すれば大丈夫と判断したのです。これは画期的なことでした。これは社会生活でも広く言えることではないかと思います。

日教組養護教員部作成の冊子「健康診断を見つめなおす!!」には、色覚検査が必須項目から削除された背景を下記のように書いています。

・「色覚異常」と診断されても、大半は支障なく日常生活が送れることが判明した。(色の見え方には個性がある)

・「色覚異常」と診断され、進学や就職時に偏見や差別で苦しんだ人から、「色覚検査廃止」の訴えが長年あった。

・検査しても治療法がない。

・「石原式検査表」では誤診がある。(男性6% 女性50%)

 

 是非、検査撤廃の歴史と当事者の思いを知ってください。

 

⑤「知らないではすまされない」

 この言葉が一番問題です。筆者の文からは「こんなに色識別に支障をきたしている人達をほっぽっといていいのか?」と社会防衛上の観点から言っているように聞こえてしまうのです。まさに検査による選別。そして差別へと繋がっていったのが歴史です。

 学校で通常使用されていた「石原式検査表」は、異常に精度が良すぎてほとんど色に支障をきたさない人まで検知します。ここの最初の段階で、検知されたことによる弊害がものすごく多いという歴史があったのです。これは遺伝に関係することなので、本人ばかりじゃなく親族縁者に波及し、優性・人権の問題にも発展しています。また、これに対する事後フォローもおそまつです。

確かに筆者の言うように形式論では「ユーザー次第」ということなんでしょうが、まだまだ現実の環境条件はそんなものではありません。一当事者としては、学校色覚検査は一つの犯罪ではないかと思ってしまいます。

 

⑥「色覚も視力もより精密な検査が可能になっている」

 確かに遺伝子検査などが発達しより詳しく診断されることは可能のようです。しかし、それは医学的診断であって、個人の色彩識別能力の実際を見るものではありません。就労にあたって実際の業務上、どういう色彩識別能力が必要なのかを問わず、画一的な医学的診断のみで就職制限をしている所がまだあります。先ずはそこを問題にした方がいいのではないでしょうか。私たちの年代では色覚制限がたくさんあったため、今は制限されていない職種を小学生の段階であきらめてしまうといったことが多々ありました。画一的で「精密」な検査より、根拠を欠く「色覚制限」がいまだに残っている実態・制度の改革こそ必要ではないかと思います。

 

 

●戦前から続く「色覚差別」の温床は「学校色覚検査」にあります。その長い歴史に対して、「制度に完璧性を求めず、うまく活用を」などと安直に断言していることに猛省を要請します。こういう間違った報道が「色覚差別」を助長します。