馬場靖人氏の予断に関する声明
本会は色覚検査においてマジョリティの人々と一定のちがいのある当事者がつどい、色彩識別力の正当な評価、不合理な差別の撤廃を求めてきた当事者団体である。
さて、昨年初めに刊行された『<色盲>と近代 19世紀における色彩秩序の再編成』(青土社)において、馬場靖人氏は本会の活動についてかなり踏み込んだ論評を記している。実際の記載個所は「はじめに」と「あとがき」とである。そこでは若き一研究者として本会の活動を率直に評価し、啓発された旨を感謝してくれている一方で、本会の活動により今や重大な事態が生じており、その結果責任があたかも本会にあるかのごとき評定、見立てを繰り返している。それもおよそ根拠の提示すらない断定に終始、端的に記せば予断に基づく風説の類ではと疑わざるをえない。
まず、この国で近年「終わりのない言語ゲーム」や「言説の閉域」などが生まれたとの所見を提示しているが、そもそも実際にこれらが現存するとの論拠がおよそ不明。仮に氏周辺の「業界の閉域」内でそうだとしても、何ら裏付けを示すこともなく不当にそれを「広い世間」へ拡大した軽率な見立てとのそしりを免れまい。
次に、仮にそのような事態の存否はひとまず措いたとしても、それが本会の「せいで」と主張しているのは、その裏付けがまたもや何ら記述されておらず、エビデンス以前のステレオタイプ的な思い込み、ひいては本会への中傷とさえ思わざるをえない。事はレッキとした一つの当事者団体に対する名指しの評定である。表現の自由はもとより最大限に尊重するところであるが、私的な手記などの類ではなく公刊の出版物として市中の書店に並ぶものである以上、本件のような名指しの論評をあえてするのであれば、その十二分な論拠の存在と明記は基本的な前提、著者として当然もとめられる社会的責務に違いない。
ちなみに、本件をめぐる経緯を簡略に記せば、ほぼ1年余り前に会員の一人から上記のような疑念を氏に投げかけている。その後いく度か応答を促したが、そのたびに遺憾ながら、回答を回避あるいは居丈高に拒絶し、結局(無期限の!)先送りを言い放ったまま今日に至っている。もとより論旨が予断であれば、実は根拠、裏付けを備えた応答は不可能なのだろう。
ここに、氏は論証を欠いた本会批判であった非を率直に認め、いわゆる訂正とおわびを速やかに言明されることを心より勧める次第である。
2021年9月
日本色覚差別撤廃の会
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